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入母屋と、解体されるはずだった築200年の古民家

壊すことが正解とは限らないと教えてくれた一軒の家


今から20年以上前、横浜市で一軒の農家を訪れました。

横浜と聞くと高層ビルや住宅街を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、当時はまだ昔ながらの農家が点在し、日本の原風景を感じられる場所が残っていました。

▽そのお宅には、美しい入母屋屋根を持つ住宅が建っていました。

築40年ほどの住宅でしたが、屋根に上がった瞬間、その美しさに思わず息をのみました。

入母屋屋根は、日本建築を代表する屋根形式のひとつです。

軒の反り、棟の伸びやかな曲線、瓦の重なり。

どこから眺めても均整が取れ、職人の技術がそのまま建物の表情になっています。

しかし、新築以来ほとんど手入れがされておらず、棟を保護する南蛮漆喰は剥がれ、棟の取り合いには落ち葉が堆積し、そこから雨水が入り込んでいました。

幸いにも瓦職人による漆喰の補修や棟の積み直しを行い、屋根は再び安心して雨風を受け止められる状態になりました。

40年間のすす払いが終わったような、そんな仕事でした。


▽本当に気になったのは、その隣に建っていた古民家でした


入母屋住宅の隣には、さらに古い建物が残されていました。

かつて家族が暮らしていた住まいです。

土間。

かまど。

黒く艶を帯びた大黒柱。

人の手の油で磨かれた太い梁。

五右衛門風呂。

そこには、今では資料館でしか見られないような暮らしの痕跡が、そのまま残されていました。

しかし建物は長年使われることなく、静かに時間だけが流れていました。

屋根は傷み、壁は崩れ、床も抜け始めています。

「古民家」

というより、

「廃屋」

そう呼ばれても仕方がないほどの状態でした。

建物は、人が住み続けることで生き続けるものだということを、この家は静かに教えてくれていました。


入母屋の家
入母屋の家

▽築200年という時間


お話を伺うと、この古民家は約200年前に建てられたそうです。

江戸時代の終わり頃から、幾世代にもわたり家族の暮らしを見守ってきた家でした。

その後、40年前に隣へ新しい入母屋住宅を建てた際、古民家は役目を終えました。

しかし、解体されることなく、そのまま残されていたのです。

理由を尋ねると、少し考え込むようにご主人が話してくださいました。

入母屋住宅を建てるための木材は、自宅の山から一本一本切り出したもの。

そして新築の時期に、ご親族が相次いで亡くなられたそうです。

「どうしても古い家を壊す気持ちになれなかった。」

その一言がとても印象に残っています。

家には、図面には描かれない歴史があります。


▽壊すしか方法はないのか


解体の見積書を作成しながら、私は複雑な気持ちになっていました。

本当に壊すしかないのだろうか。

どこかへ移築できないだろうか。

文化財として残せないだろうか。

古民家再生を手掛ける方々にも相談し、さまざまな可能性を探しました。

しかし、この建物は飛騨や新潟のような豪雪地帯の民家とは構造が異なり、移築して保存するだけの条件には当てはまりませんでした。

残念ながら、新たな命を吹き込むことはできませんでした。


▽あの頃の経験が、今につながっています


あれから20年以上が経ちました。

建築を取り巻く価値観は大きく変わりました。

以前は「古いから壊す」が当たり前だったものが、

今では

「残せるものは活かす」

という考え方が広がっています。

古材の再利用。

古民家再生。

サステナブルな建築。

建物を次の世代へ受け継ぐという文化も、少しずつ根付いてきました。

私自身も現在、「思い出の古材」という取り組みを通して、お客様の大切な柱や梁、建具に新たな命を吹き込む仕事をしています。

あの古民家を前に立ち尽くした経験が、今の仕事につながっているのかもしれません。


▽家は、単なる建物ではありません


家には、人の暮らしがあります。

笑い声があります。

悲しみがあります。

家族の歴史があります。

だから私は今でも、解体工事の前には少しだけ立ち止まります。

本当に壊すしか方法はないのか。

何か一つでも残せないだろうか。

建築は新しいものを造る仕事ですが、

同時に、残す価値を見極める仕事でもあります。

築200年のあの古民家は、解体されてもなお、そのことを私に教え続けてくれています。



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